『第九 An die Freude(歓喜の歌)』へのつぶやき《後編》(No.7)♬ 『第九』と『荘厳ミサ曲』:2021.7.12号
暫くお休みしていた『第九へのつぶやき』の後編を綴ったので、笑読していただければ幸いです。
1824年に『交響曲第9番(合唱付)』の初演があったことは既に前項で紹介しました。
ベートーヴェン52歳。
その1年前の1823年に『荘厳ミサ曲』が完成している、ということは、『荘厳ミサ曲』と『交響曲第9番』はほぼ同時期に作曲されたということある。
この時代ベートーヴェンは私生活の面で困難な事態の連続に、生活が乱れ病気になり酒におぼれたりして、精神的にも行動的にも奇矯な行動が目立ち始めていたころでした。
人生で一番の逆境の中で、「神」を求め、神聖な境地に至ろうとするのは当然だったかもしれない。
私はキリスト教徒ではないので、『荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)』に歌われている言葉の真意は分かりません。ではあるが、神聖な境地への欲求は理解できまる。
キリエ(あわれみの賛歌)、グローリア(栄光の賛歌)、クレド(信仰宣言)、サンクトウス(感謝の賛歌)、アニュス・デイ(平和の賛歌)といった言葉は、ラテン語ではあったが和訳を読んだり、音楽の流れを聴いていると、自然と祈る心が芽生えてくる。
ベートーヴェンの生涯・人生史から鑑みると、『荘厳ミサ曲』と『第九』は非常に関連ある曲であり、『第九』を少しでも理解する上にも『荘厳ミサ曲』をじっくり聴いておかねばならないであろう。
『第九』と『荘厳ミサ曲』は、私の心にひそむ孤独な心を救済してくれる音楽なのである。
※ 因みに、今10年前『荘厳ミサ曲』演奏会に合唱団員として出演し、歌った神々しい荘厳な演奏の感動した記憶が蘇ってきた。
<是非 『荘厳ミサ曲』と『第九』を聴き比べて下さい>