長崎の鐘・・・・あれから77年経ってしまった・・・繰り返しては決してならぬ:2022年8月9日号
長崎の鐘 作詞・サトウ・ハチロー 作曲・古關祐而
1,こよなく晴れた 青空を 悲しと思う せつなさよ うねりの波の 人の世に
はかなく生きる 野の花よ
♪なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る
2,召されて妻は 天国へ 別れてひとり 旅立ちぬ かたみに残る ロザリオの
鎖に白き わが涙
♪なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る
3,こころの罪を うちあけて 更け行く夜の 月すみぬ 貧しき家の 柱にも
気高く白き マリア様
♪なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る
僕が生まれたのは、1944年 昭和19年です。
戦禍での悲惨さの経験はなかったが、惨い・悲しいことは、肌で感じていた。
小学校の同級生の中に、お父さんを戦争で失った友人が数人いたことも覚えている。
友人らは、お父さんの姿を・声を聞いたことがないんだ。
友人の家に行くと、仏間の右上に戦闘服姿のお父さんの凛々しい姿の写真が飾ってあった。
・・・・陸軍服のお父さん、セーラー服のお父さん、それにお兄さん!
僕らは、お父さん・お兄さんたちが祖国を護ろうと戦った事実を決して忘れてはならない。・・・決して忘れない!!
戦後たったの77年。戦ったお父さん(お爺さん)やお兄さんが生きていても不思議でない過去の話である。
簡単に過ぎ去った昔の話と片付けてはならない。
どうして日本はこんなに反映して来ても、戦果に散った人々をもっと大事に、語り継がないのであろうか。
僕は右翼でも左翼でもない、いち(一)人間として、それらの人々に感謝する祈りを捧げる国民がもっともっといてよいはずだ。
戦争を語り継ぐこと、日本兵士の戦いぶりを国民に知らしめることがタブーになってきた教育は、戦った兵士一人ひとりに対し無慈悲な理念の押し付けではなかろうか。
今こそ、原点に立ち戻り先人たちへの感謝の念を示すときでななかろうか。
でないと、戦後100年を迎えるころには、実相を語り継ぐ人がいなくなってしまう。