2022年9月 練習中止の連絡 :2022.8.22号
◎決定事項
岡崎市のコロナ感染者数の推移から、『9月の練習は全て中止』します。
<経緯>
・小生も毎日の岡崎市コロナ感染者数の動向を注視していたのです。
“一喜一憂”ではなく、ゆゆしき事態(憂憂しい)ばかりで、喜んで良い事態に一向にならないですね。
・世間では、“外出制限なし”とかいって、あたかもコロナ感染は、対応さえしっかりしていれば心配ないとの風潮です。
しかし、実情は身近にまん延して来ています。・・・ご自身も家族や友人への気遣い
『油断が敵』との言葉のように、コロナに感染してしまってからでは、遅すぎます。
とくに、幸齢者グループでは、“要注意”だね。
◎判断: 1,9月の練習は、全て中止:::添付スケジュール表参照
2,10月以降の練習の再開連絡は、9月20日前後に団員へ連絡します。
9月 |
2日 |
悠紀の里 |
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9日 |
悠紀の里 |
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16日 |
悠紀の里 |
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23日 |
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※せきれい女声コーラス(宮津さん)情報::同コーラスも現状で練習中止しています。
9月に平光先生の指導練習日があるが、「お断り」の連絡をする予定だそうです。
♬ 静かな湖畔 (^^♪ 夏のキャンプファイヤーで歌い盛り上がったなあ !!: 2022.8.16号
静かな湖畔 作詞 山北多喜彦 作曲 不詳(スイス民謡?)
1、静かな湖畔の 森のかげから もう起きちゃいかがと カッコウが啼く
カッコウ カッコウ カッコウ カッコウ カッコウ
2、夜もふけたよ おしゃべりやめて おやすみなさいと 啼く フクロウ
ホッホー ホッホー ホッホー ホッホー ホッホー
きのう 断捨離を少ししていたら、青春時代の『キャンプファイヤー』の写真がでてきた。
決して忘れることができない、輝く青春時代である。
海に川にそして湖に出掛けた。
”湖”に貸しボートがあり、当時恋してた彼女と一緒に乗った、青春時代の最高なご褒美の写真もあった。
”純愛”という言葉がぴったりの二人であった。
今の時代では考えられない、爽やかな恋であった。
・・・・互いの思惑とは逆に、結ばれることはなかった・・・・
今の世の恋や愛は、二人の心の絆で結ばれるが、当時は、二人以外のファクターがあり思うようにならないこともあった。
当時、自分に強い意志と決断、ファクターを消し去る心があれば、違った形になっていたであろう。
Ifの話である。
もう、半世紀以上も前の話だ。
後悔なんてしてない・・・・今の家族が最高であることは確かだ。
・・・・・・・・・・
(^^♪ 静かな湖畔 ♬
作詞は山北多喜彦。
”野尻湖:長野県”は妙高・戸隠連山の深い山に囲まれ、ナウマンゾウ(化石)で有名な湖。・・・・・・20年前に湖畔で家族で宿泊した。
原曲はスイス民謡(ドイツ語)の童謡「Auf der Mauer, auf der Lauer」と言われている。
歌詞は、日本独特の情景が歌われている。
また、輪唱も日本独特とか・・・
長崎の鐘・・・・あれから77年経ってしまった・・・繰り返しては決してならぬ:2022年8月9日号
長崎の鐘 作詞・サトウ・ハチロー 作曲・古關祐而
1,こよなく晴れた 青空を 悲しと思う せつなさよ うねりの波の 人の世に
はかなく生きる 野の花よ
♪なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る
2,召されて妻は 天国へ 別れてひとり 旅立ちぬ かたみに残る ロザリオの
鎖に白き わが涙
♪なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る
3,こころの罪を うちあけて 更け行く夜の 月すみぬ 貧しき家の 柱にも
気高く白き マリア様
♪なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る
僕が生まれたのは、1944年 昭和19年です。
戦禍での悲惨さの経験はなかったが、惨い・悲しいことは、肌で感じていた。
小学校の同級生の中に、お父さんを戦争で失った友人が数人いたことも覚えている。
友人らは、お父さんの姿を・声を聞いたことがないんだ。
友人の家に行くと、仏間の右上に戦闘服姿のお父さんの凛々しい姿の写真が飾ってあった。
・・・・陸軍服のお父さん、セーラー服のお父さん、それにお兄さん!
僕らは、お父さん・お兄さんたちが祖国を護ろうと戦った事実を決して忘れてはならない。・・・決して忘れない!!
戦後たったの77年。戦ったお父さん(お爺さん)やお兄さんが生きていても不思議でない過去の話である。
簡単に過ぎ去った昔の話と片付けてはならない。
どうして日本はこんなに反映して来ても、戦果に散った人々をもっと大事に、語り継がないのであろうか。
僕は右翼でも左翼でもない、いち(一)人間として、それらの人々に感謝する祈りを捧げる国民がもっともっといてよいはずだ。
戦争を語り継ぐこと、日本兵士の戦いぶりを国民に知らしめることがタブーになってきた教育は、戦った兵士一人ひとりに対し無慈悲な理念の押し付けではなかろうか。
今こそ、原点に立ち戻り先人たちへの感謝の念を示すときでななかろうか。
でないと、戦後100年を迎えるころには、実相を語り継ぐ人がいなくなってしまう。