荒城の月 歌詞の説明
この歌の歌詞(詩)の意味はとても難しいので、調べた限りで説明します。
1,作詞: 土井晩翠 詩人
1871年(明治4年) 現在の仙台市青葉区木町2丁目(旧:北鍛治町)で生まれ
た。1952年(昭和27年)亡くなる。80歳
2,<詩の構成>
一番:往古の春 盛んな栄える様子(栄)
二番:同年の秋 衰え枯れ果てる様子(枯)
三番:今現在の城の様子
四番:現在、世の栄枯盛衰を偲ぶ様子で、四番に集約されている
3,「荒城」とは どこの城か
◎九月十三夜陣中作 九月十三夜陣中の作:天正五年(1577)
9月 上杉謙信は畠山氏居城を攻め落とす。
霜滿軍營秋氣淸 霜は軍営に満ちて秋気(しゅうき)清し
數行過雁月三更 数行(すうこう)の過雁(かがん)月三更(さんこう)
越山倂得能州景 越山 併せ得たり 能州(のうしゅう)の景(けい)
遮莫家郷憶遠征 さもあらばあれ 家郷(かきょう)の遠征を憶(おも)ふは
<現代文>陣営には霜が真っ白に降り、秋の気がすがすがしい
空にはいくつかの列に並んで雁がわたっていき、真夜中の月が輝く
いまや我が領地の越後越中に能登の景色もあわせることができたの
だ。故郷の家族たちが遠征の身を案じているかもしれないが、
ままよ、今はそんなことは気にせず楽しむこととしよう
※筆者が偶然にも読んでいた書の中に、上杉謙信『九月十三夜陣中作』が載って
いたので、この書にて紹介した。(読みは、詩吟から)
4,歌詞の解釈(意味)
一番 春高楼(こうろう)の花の宴 めぐる(巡る)盃(さかづき)かげ(影)さして
千代の松が枝わけ(分け)い(出)でし むかし(昔)の光いま(今)いずこ
<説明> 春。桜花満開の城内の郭(天守閣前の広場)では盛大な花見の宴会が開かれている。
次から次へと回される大盃に、月の光が松の枝の影を映し出している。
月の光が千年も昔から(古から)見ている松の木の枝から射し込んでいる。
今は天守や周りの館が無くなり荒れてしまっている。ああ 昔の栄華はどこへ行ってしまったのであろう。
(・高楼: 高いところ ⇒ 天守閣、櫓)
二番 秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて
植うるつるぎに照りそいし むかしの光いまいずこ
<説明> 秋。戦場となり荒廃を極めた陣営(城一帯)は、霜に白く覆われ静寂としてい
る。空を見上げれば旅する雁の群れが声を響かせ去っていくのが見えるだけ。
敗れた兵の地面に突き刺さった刀をも照らす月の光。
しかしそんな勇ましかった城の面影は、今はもうない。
(・秋陣営の霜の色: 晩秋、戦場と化し、霜に覆われ静寂とした城の情景)
(・植うる剣に照り沿いし:
- 地面に突き刺さっている剣であり、それは戦いに敗れて矢つき刀折れて
刺さっている‥その刀を月が照らす・・・:敗軍
- 出陣の時、林に植えられている木のごとく非常に多くの剣が高々と上げ
られている様・・その刀を月が照らす・時の声を上げている様子:出陣
- 陣の周りに、防御のために地面に突き刺している・・‥その刀を月が照らす(逆さに植えた剣・・戦いの後の風景:防御)
- 「霜柱」を意味し、晩秋より冬にかけて「霜柱」地面より露出し、白く
光った光景を「植うる剣」として、かつて伊達正宗が治めていた仙台の地での戦乱の世の遠い昔の時代へ思いをはせている詩から引用
「霜柱」を月が照らしている。
三番 いま荒城のよわ(夜半)の月 替わらぬ たが(誰)がためぞ
垣(かき)に残るはただ葛(かずら) 松に歌(うと)うはただ嵐(あらし)
<説明> 今。荒れ果てた城跡(しろあと)を 夜半の月の光は昔と変わらないけれど、主も兵(つわもの)どものいない城跡を、何を誰のために照りつけているのだ。
石垣にただ一面に絡まり生えている葛のつた(蔦)だけが残っているだけだ。